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 きゅうちゃんもういいよ、やめとこうよ。重たい玄関扉がばたんと閉まる音がしてから、私の右肩に手を置いて、葵さんはぽつりと言った。もうさあ、決めちゃったんだよ、私たちがなんか言ってどうなることでもないよ、と。五人の女たちが住む築三十八年の戸建は玄関が広い。そのまんなかで爪先と踵が土色に擦れたクロックスもどきを中途半端に引っ掛けたまま、私は黙って首を振った。

 葵さんは私の肩をまるで自分の肩をさするみたいに撫でながら続けた。

「わかってるよ私らもさあ。絶対やばいよねあの男、わかってんだよ。でもね、本気の人を止めらんないの。前からそうなの私ら。だから変な宗教にはまって、こんなところで寄り集まっちゃってるんだよ」

 扉の向こうから車のエンジンがかかる音がして、すこししたあと、その音はゆっくりと遠ざかっていった。それが十二月二十日のことだった。

 

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 永遠に出続けるファックスの山から目当ての発注票を探していると、山内さんに「波多野さんお昼いこうよ」と声をかけられた。あれっもうそんな時間、と言いながら立ち上がると少し目眩がした。

「なんか今月紙の量やばくない?」

 ダンボールに入った大量のA4用紙を訝しげに眺めながら、山内さんが呟く。

「そうなんですよここ最近めっちゃ紙で来てて。電子発注が減ったってわけじゃないんですけど」と返事をしている間にもまたファックスがビーと音を立てて一生懸命紙を吐き出している。なんなんでしょうねえ、と言おうとしたところで昼休憩の鐘が鳴った。

 

 四年前から事務員として勤めているこの会社は、都内の雑居ビルにぽつんと存在している、吹けば飛ぶような弱小企業だ。細々とした雑貨を地元の商店や個人オーナーのコンビニなどに卸している。創業者の息子が二代目社長を務め、お得意さんはほとんどが二十年以上の付き合い。細く長く、地元に根付いているある意味愛らしい会社である。

 私のポストもかつては大ベテランの女性が切り盛りしていたところを、そろそろ能力も落ちてきたからと「譲って」もらったようなものだった。彼女の友人である映(えい)さんが「商業高校を出たいい子がいるよ」と私を推薦してくれたのだ。昔も今も、小さな会社は知り合いのつてで人を雇っている。求人サイトで片っ端から応募しすべてに落ちていた私にとってそれが有り難すぎる採用システムだったことは言うまでもない。それからずっとこの会社で、特に波風を立てることもなく過ごしている。

 

 カレンダーは師走、秋と冬を交互に繰り返すような気候はやっと落ち着いて本格的な冬になった。山内さんと連れ立ってビルを出る。今年の春に営業として転職してきた彼女は、この会社の、彼女以外にいる唯一の女性社員である私のことをよく気にかけてくれていて、彼女が事務所にいる日は大体一緒にお昼を食べにいくのが習慣になっているのだった。外は朝より風が強くなっていた。マフラーだけ首に巻いてきたことをちらっと後悔する。山内さんはこのまま営業先へ向かうらしく完全防備の状態で隣を歩いていて、自分の寒々しさが殊更意識された。

「もう十二月かあ」

 よく行く定食屋へ向かう道すがら、山内さんが困ったように呟いた。

「今年もすぐ終わっちゃうんだから困るよ」

「年末進行、大変ですよね」

 コンビニはさておき、個人商店は年末休業が早い。ぼやぼやしていると電話もメールも返ってこないまままた来年、となってしまうので今月は特にスケジュール管理に苦労していた。山内さんも同じような苦労を抱えているのだろうと思ったのだけれど、彼女は私の言葉に、いやいやそうじゃなくて、と右手を顔の前で振り振り、

「今年やろう、今年こそはやろう、今年流石にやんないとまずい、って思ってたことがなんにも終わってないの」

 と渋い顔をして言った。

「毎年やらない? 今年の抱負みたいなの決めてさ」

「うーん」

 やらないですね、と言いかけたところを山内さんが被せてくる。

「今年はね海外旅行したいって思ってたの。夏でも冬でもいつでもよかったんだけど。行き先もそんなにこだわりなくて。韓国とか台湾とかでもいいし、ハワイでもサイパンでもいいし、ロシアでもエジプトでも、グリーンランドでオーロラ見てもいいよねとか思ってたのに」

 どこでもいいって思ってたらどこにも行かなかったよ、と口元に添えたままの右手を軽く握って笑う。

「旦那と軽井沢行ったっきり。パスポートもどこ行ったっけって感じ」

 山内さんには結婚五年目くらいの旦那さんがいる。三十歳である山内さんは、私の歳のときにはもう旦那さんと付き合い始めていたそうだ。大学を卒業するタイミングだったらしい。年齢という軸で人を横並びに比較したって何の意味もないけれど、それでも私はいつも私と山内さんや周りの人たちを並べて、その途方もない人生の距離にいつも面食らう。その距離は「追いつく」とか「引き離す」とか、そういう類のものでないことも、分かっているけれど。

 定食屋の席に着いても話題は続いていた。抱負など考えたこともない私に山内さんは、来年から決めてみようよ、と新しくできたコンビニに入るみたいな気軽さで言った。手書きのポップがアクリル板に挟み込まれた「今日のおすすめメニュー」を吟味しながら彼女はその良さについて語る。

「なんだかんだ新年って気持ちいいもんじゃない。カレンダーが『一』に戻るだけなんだけど、一旦リセットされるっていうか、新しいって感じがして」

 その気持ちはわからないでもない。おすすめメニューを眺めながら、そうですねと答える。

「まっさらなときに何か決めるのって楽しいよ。実現しなくても」

「実現させましょうよ」思わず笑いながら言うと、山内さんも照れたように笑った。

 

 注文を済ませた頃には、周りの座席もサラリーマンたちでほぼ埋まっていた。皆はあとかああとか言いながら、どっかりと腰を下ろして熱いお茶を飲んでいる。彼らも年末や来年の話題で盛り上がっているのが聞こえた。山内さんも同じように周りの会話を聞いていたのか、

「年越しの前に年末だよね。波多野さんは年末どうするの」

 と訊ねてくる。

 帰省? 首を傾けた彼女に対し、私は一拍おいてから、それには答えず「山内さんも帰省ですか」とあえて誤認させるような言い方で聞き返した。

「んーまあねー……。帰省っていうのかな、旦那の実家行くんだよ」

 自分で聞いて来たくせに、彼女はひどく嫌そうな顔で答えた。そして愚痴大会が始まる。なにかにつけてお喋りな山内さんとお昼を食べると二回に一回はこうなるので、私ももう心得ている。

 旦那さんがどう、姑さんがどう、帰省のときの手土産がどう、子どもがどう、……どこかで一度は聞いたことのある葛藤や悩みが絶え間なく押し寄せてくる。私は運ばれてきた生姜焼き定食の豚肉を一枚一枚丁寧に口に入れながら、まるで別の国の風習を聞くかのような心地でその話に相槌を打った。私には家族がいないので、それが胸糞の悪い話だろうとショックな出来事だろうと、それが実際に起きたことなのだということそれ自体が興味深かった。私にとってはアマゾンの奥地で生活している原住民族の生活を聞いているのと同じで、自らが彼女と同じ生活を、同じようなシチュエーションで、同じように過ごせるとはゆめゆめ思えなかった。

 山内さんの話は、子どもはまだ欲しくないけれど名前はもういくつも考えている、という話題が終わったところで少し途切れた。そのあと一呼吸置いて、私にはバタバタしてるのが合ってんのよねきっと、と、ひとりごちた。

「人間関係とかぐっちゃぐちゃでもさ、自分の人生に登場人物が多いと楽しいだろうなって、そういう漠然とした気持ちはあるんだよねずっと」

 私はお椀の底に残っていた味噌汁を飲み干して、箸を置いた。

「面白い言い回しですね」

 店もだんだんと混んできた。入り口の向こうにも人が並び始めているのを見て立ち上がりかけたとき、その動きを制すように山内さんがちらっと私の方を向き、唐突にこう投げかける。

「波多野さんは結婚したいとか思わないの」

 私は曖昧に笑って返事をしなかった。

 

 

 山内さんの人生にできるだけ多くの登場人物が必要であるなら、私の人生はその真逆で、数少ない人間関係をも削り取ってその場に捨てていくのがセオリーだった。

 山内さんはおろか社長以外は知らないのだけれど、私の入社時の身元保証人は赤の他人である映さんだった。私には両親がいない、正確には、両親から逃げてきた。物心ついたころから続いた度重なる虐待のようなものを経て、身一つで逃げ出してきたのだ。

 

 実家と地元を捨ててきた十八まで、私は酷い仕打ちを受けながらもその場に甘んじていた。なぜかって、どうしたらいいか分からなかったから。これが普通ではないということは小学校の高学年に上がったあたりから薄々気がついたはいたけれど、だからといって私に出来ることは「死なないようにする」ことだけだった。人形みたいに感情を捨てて、ただ息をして、最低限生きていられればそれでいいということにしていた。ただある日、急に自分の置かれている状況には時限爆弾のような危うさがあることを自覚し、逃げることを迫られたのだった。

 その日は高校受験が迫った中学三年生の秋で、いつものように酔った父が「お前は能無しだから高校くらいは行かせてやる」と言いながら私の頬を幾度となく殴っていた。私は口の中に血の味が広がるのを感じながら、「先週は風俗で働けって言ってたな」と父のいつもの矛盾した物言いをぼんやり思い出していた。その翌日、頬の青あざをマスクで隠しながら登校すると、私の席から机がなくなっていた。今までもいじめられてはいたけれど、ここまで露骨なものは初めてだった。とりあえず残っていた椅子に座ってじっとしていた。教室の隅には、私の机をどこかへ捨てた当人なのであろう仲良しグループが私の方をちらちらと見ながらわざとらしくヒソヒソと話していた。

 その真ん中にいた女の子から、くくくっ、という、嬉しくて嬉しくてたまらないとでもいう声が漏れたのを聞いた瞬間、私は突然、このままじゃ死んじゃうんだ、ということにやっと気がついた。ここから出て行かなければならないと強く思った。他に選択肢はない、とも。それまでの人形みたいで無感情な私はどこかへ消え、突如として、人生というものは自分で操縦しなければならないのだ、ということが理解された。まるで今まで羽を押さえつけられていた赤ちゃんの鳥が巣から急に落とされて、いきなり飛ぶことを迫られたような気分だった。焦燥感と高揚感が混ざり合って落ち着かなかった。

 

 その後私は商業高校を出て、卒業式を終えたその足で新幹線に乗った。両親も、兄弟も、私をいじめて楽しんでいた子も、高校で出会ったクラスメイトたちも、誰もかも、その日にすべてを捨ててきた。初めて降りた上野駅のコンコースを見渡し、やっと見つけた公衆電話に百円玉を入れ、番号をひとつひとつ確かめながら押していく。手には唯一捨ててこなかった、契約の切れたスマートフォン。そこに表示されているのは、過去に私の地元に住んでいた、風変りなおばさんの携帯番号であった。

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