よく行く新橋のはなまるうどんがつぶれていた。グーグルマップにはそんなこと書いてなかったから意気揚々と行ってみたのに、私たちの前に現れたのは空っぽになったテナントだけだった。
「あらー」
 なくなっちゃってますねえ、のんびりした声でそう言って、タカハシさんはスマホを取り出した。
「近くにあるかな、はなまる」
「別にはなまるじゃなくてもいいですよ」
 小さな声で提案してみたけど、たぶんこの人ははなまるが食べたいのだ。もしくは丸亀。私もポケットからスマホを出して、グーグルマップにもう一度「はなまるうどん」と打ち込んだ。昼下がり、ビルに遮られて日光の当たらないここは少し肌寒い。

 ペアーズでマッチングした人が料理人だったのは今回が初めてではない。これでもう三回目だった。
 元彼と別れて半年とちょっと、これくらいのインターバルをとったのだからもう次へ行っていいだろう、と適当に自分に言い訳をして新しい恋人を探すことにしたのが一カ月半ほど前。会社の同僚に声を掛けて合コン的なものに出てみたり、相席居酒屋に行ったり、街コンに参加してみたりしたけど、なんだかいきなり初対面の異性とふたり、顔を突き合わせて話すのはあまり居心地の良いものではないと気がついた。相手の表情、視線、緊張した振る舞い、そういうもの全部が気持ち悪く思えてきてしまうのだった。もちろん自分が選ぶ側だ、相手が選ばれる側だ、なんて驕っているつもりもないけど、なにも知らない異性を目の前にして「この人と恋愛できますか?」って問いを眼前に突き付けられているような焦りのある空気感にあてられてしまったのだと思う。
 だから半月ほど前からそういうことを全部やめて、マッチングアプリを使うことにした。今年に入ってからやたら通勤電車で広告を目にするからユーザー数は結構いるんだろうなあ、と思っていたけれど、登録して数日間、通知が鳴りやまなかったのは驚きを通り越して少し恐怖だった。

 新橋から少し歩いて、虎ノ門のはなまるうどんに入った。
 やったー、と嬉しそうに言ってタカハシさんは扉を開ける。その後ろについて私も店内に入った。
「えーめっちゃ久しぶりですはなまる入るの。たぶん二年以上きてない」
 はなまるうどんでこんなに喜んでいるのは外国人観光客と彼くらいじゃないだろうか。私は笑って、注文方法おぼえてます? とからかいながら揚げ物の小皿を手に取る。

 料理人は舌が肥えているだろうし外食なら高級なところにしか行かないんじゃないかな、なんて思っていたけれど、マッチングした料理人たちはみな日常的で非常に敷居の低い店に行きたがった。最初に会った、高級ホテルのレストランに勤めているというミヨシさんは”牛角”に行きたいと言って二人で焼き肉を食べたし、次に会った高級フレンチが有名なチェーン店に勤めるトドオリさんとは”俺のフレンチ”おいしいよ、と言ってフレンチを立ち食いし、結構面白かったので次に会ったときは箱根そばを食べた。
 今日、初めて会うことになったタカハシさんもその例にもれず「何か安くて懐かしい感じのものが食べたい」と言った。十一月下旬、つめたい風が少しずつその威力を増してくる季節に食べたいものと言えば、あったかいそばやうどんや鍋。私は学生ときによく行っていたお店を適当にピックアップして提案し、じゃあ夜は湯島にある居酒屋のもつ鍋を食べようということになった。ただ二人が観たかった映画の上映が妙に早い時間帯のものしかなく、観終わった時点でまだ午後の二時にもなっていなかったのだった。
 そして今に至る。

「料理人だから安物は嫌いだって思ってたんじゃないですか」
 卵のあんかけうどんをトレイに乗せたタカハシさんが、席について早々笑いながら訊ねてきた。割り箸をパキ、と綺麗に割って丼の中に滑り込ませる。私はマッチングアプリで出会った人たちのことをマッチングアプリで出会った別の人に話すべきかどうか一瞬思案した。
「……まあ、ちょっと呆気にとられはしましたね」
 言わないことにした。
「マオさんって、アパレル関係でしたっけ? 自社ブランドの服が好きでも、やっぱり他のブランドも着たいなあとか、ユニクロいいよなあとか、思いませんか」
「ユニクロはいいですね、確かに」
 言いながら私もかけうどん小サイズを食べる。学生の頃は105円だったのに、いつの間にか150円になっていてびっくりした。まあそれでも安いんだし、私も社会人になったんだからもう少し高いものを頼みなよと思う。でもアパレル店員の賃金はあきれるほど低いから許してほしい。
「もちろんおいしいんですようちの店、びっくりするくらい。自画自賛ってちょっと恥ずかしいですけどね」
 店内の有線は最近流行りのドラマ主題歌を流している。ああ、先週の録画まだ見てなかったなあ。
 のんきでカジュアルな店にいると、こっちものんきでカジュアルな気持ちになってくる。
「でも休みの日くらい、そういう完全無欠みたいなのから離れたいんですよね。マオさんの希望には添えてないかもしれないですけど」
「いや全然」私はかぶりをふる。
「高級レストランなんて記念日くらいが丁度よくないですか」
 それならよかった、とタカハシさんがまた笑うので、でもはなまるがいいっていう人はなかなかいませんよ、ともうひと笑いとっておく。

 

 早い時間帯であろうとぜひ観たい、といっていた例の映画はちょっとチープなアクションものだった。洋画だけれど、ハリウッドみたいな大がかりでスペクタクル全開なそれではなくて、ばかばかしい感じのB級フィルム。十年前に流行ったタイトルの続編なのだった。最初はひとりで行くつもりだったのだけれど、上映中に手でも握られない限り二人で行っても問題ないだろうと思い提案してみたら、彼も行きたいと思っていたのだという。十年前のタイトルもきっちり映画館で見たらしい。当時中学生だった私はまだ洋画に興味がなかったので大学生になってからDVDで見たのだった。映画館で見た彼が少しうらやましい。
 今日、日比谷の新しい映画館で観たそれは、十年前観たタイトルよりもずいぶん色々と整っているように感じた。タカハシさんも同じように感じたようだった。
「なんだか低俗な感じがちょっと減っちゃったよね。セットとかもだけど、ストーリーがわかりやすすぎたのかな」
 確かに前作はストーリー展開が意味不明で、そこがまた面白かったのだった。
「そうですねえ、いつの間にか死んでたり、生き返ってたり、そういうのなかったですね」
「そうそう。前のやつは急に誰?みたいな人が出てきたりしてね」
 ランチの時間帯を少し過ぎた虎ノ門は変に静かだった。みな周りのオフィスでPCに向かっているのだろうか。こんなオフィスビルと官庁に囲まれた場所でB級映画について語り合っている方がよほど面白い出来事のように思えた。今作は、前作を超えはしないもののそこそこ見所はあり良かった、と総評をまとめたところで連れ立って店を出た。

 まだ時間はたっぷりある。あてどなくブラブラしていると東京タワーに近づいてきたので入ることにした。私は東京タワーに嫌で嫌で嫌な思い出がある。あー、と心の中で低いため息をつきながら麓の自動ドアを抜ける。去年と変わりない景色が私を出迎えた。
 ぼうっと過去の思い出を反芻していると、ねえ、あれやばくないですか? とタカハシさんの声がする。振り返るとチケット売り場の奥に貼ってあるポスターに「展望台まで階段で上ろう!」と書いてあるのが見えた。
「正気の沙汰とは思えませんね」
 タカハシさんが真顔で呟いた。私は真顔で返す。
「上りましょう」
 え、え、え? と三回疑問符を繰り返したタカハシさんは、今年36歳になったそうだ。

 

 ひいひい言いながら東京タワーの赤い階段を上る。私だって25歳だけれどひいひい言っていることに変わりはない。アパレル業界の売り子は体力仕事だけれど、使っている筋肉がまるきり違う。鍛わるのは上り下りではなく右往左往に使う筋肉だ。あと荷物を上げ下ろししたり、声を張ったり。
「マオさん自信あるのかと思ったら全然ダメじゃないですか!」
 踊り場でやれやれと腰に手をやりながらタカハシさんが私を見下ろす。
「ゆっくり行きましょ、まだ時間はあるんだから」
 はいい、と語尾をふらふらさせながら私はタカハシさんのいるところまでなんとか到達する。きつー、と息を吐きながら先を見上げると、少し上がったところに「333段目!」と張り紙がしてある。一体何段目で頂上なんだ。自分で提案したことを激しく後悔した。
「なんで上りたいなんて言ったんですかほんと」
 タカハシさんが少し呆れたように訊ねる。学生カップルと思しき二人連れが私たちを追い抜いて先に上がっていった。
「いやー……」
 初対面のデートの相手に元彼の話をするかどうか、一瞬思案した。
「去年つきあってた人と東京タワーに来たんですけど」
 言うことにした。
「ここで振られたんですよ私」
 言ってしまった。
「もう別れる半年くらい前からめっちゃ嫌いで元彼のこと。だから私から振ってやろうと思ってたのになんか振られちゃったんですよ。しかもどこで振られたと思います?」
 タカハシさんは眉間にしわを寄せたまま首をひねった。
「エレベーターの中です。あの、展望台まで行くやつ」
 私は階段のフェンスから少しだけ見えるエレベーターを指差して吐き捨てた。
 その場が凍りつく。
 ワンテンポおいて、ひええ〜!と、タカハシさんが両腕で自分を抱きしめるようなポーズをとりながら小さく悲鳴をあげる。
「なにそれ。むごすぎる」
「まあ当然他のお客さんもわんさか乗ってますよね。エレベーター貸切になんてできませんから。で、満員電車みたいな状態のかごのなかで、俺たち別れよっか、って言われたんですよ」
「わあ……」
 今度は新社会人くらいのカップルが目の前を通り過ぎる。彼女の方が少し息を切らしている。
「だからねえ、私は、エレベーターなんて絶対使いたくないんです。でも」
 新社会人カップルが言ってしまったのを見届けてから、私も東京タワー登山を再開する。タカハシさんもその後に続いた。
「でも、だからって東京タワーに行けなくなっちゃうのは嫌じゃないですか。絶対」
「そうですね」
 だから上るしかないんです、言いながら、チャンキーヒールのブーツでのしのしと階段を踏みしめる。

 無言で一、二分上った。まだ頂上は見えない。
「じゃあ僕も彼女に振られた話、しますね」
 タカハシさんがおもむろに口を開いた。
「僕、なんも決められない質で。今回マオさんとのデートだってほとんどマオさんが提案してくれたじゃないですか。だから彼女にも全然プロポーズとかできなくて」
「呆れて振られたんですか」
 なんだかよくありそうな話だ。
「いや、一応したんですよ、プロポーズ。それで子供が欲しいって言ったら、彼女怒っちゃって」
 確かに、ペアーズの彼のプロフィールページには「子供:ほしい」と記載があった。
「ていうのも、彼女は子供欲しくなかったんですよ」
「お互いにそこで判明したってことですか」
「いや……」
 疲れたのでまた踊り場にとどまることにした。鞄からペットボトルのお茶を取り出す。
「彼女が子供欲しくないってことはもうずっと前から知ってました。言ってたし」
「じゃあ完全にタカハシさんが悪いですね」
 朝、コンビニの加温器から取り出したはずのお茶はもう冷えていた。それが丁度良かった。
「でも、なんか、話したら変わるかなって。五年も付き合ってたんで、気持ちに変化があってもいいじゃないですか」
 お茶を丁寧に鞄へ戻し、背中へ回す。
「てか普通産める人は産みますよね? マオさんだって子供欲しいでしょ。不妊治療までして頑張って子供欲しいって人すらいるのに、彼女意地になって意見曲げなくて」
「それ本気で言ってる?」
 次は小学生くらいの子供とパパが私たちを追い抜いていった。パパは完全にバテている。振り返った先にあるタカハシさんの顔はぽかんとしていた。
「自分からなんの提案もしない奴がいきなり子供のことだけ意見出してくんのマジで嫌だわ私でも。しかももう相手の意見わかってんのに覆ると思ってたんでしょう。彼女は意地になってたんじゃないよ。ただ彼女が決めたことを五年前から変わらず主張しただけだって」
「ええ……」
「ええじゃない!お前は都合良すぎ!」
「はあ……」
「はあじゃない!」
 もう姿が見えなくなった子供が、きゃあきゃあと嬉しそうにはしゃいでいる声が遠くから聞こえた。向こうからも私たちの声は聞こえているのだろうか。
「もしかしてマッチング相手も二十代だけに絞ってたりしてる?」
 タカハシさんは気まずそうに目を泳がせた。
「してます」
「それって子供欲しいから?」
「そうです」
 もう東京タワーは二度と登らないかもしれない。
「なんで私が怒ってるか分かります?」
「分かるような、分からないような……」
 いきなりしどろもどろになる彼に私はため息をつく。
「なんかね、私思うんだけど、多分タカハシさん、結婚しない方がいいよ」
「僕もその方がいいような気がしてきた」
 存外素直なのが笑える。私はもう一度、マッチングアプリで出会った人たちのことをマッチングアプリで出会った別の人に話すべきかどうか思案した。
「私、アプリで実際に会った人がなぜか全員タカハシさんと同じ職業だったんだよ」
 言うことにした。
「ミラクルですね」
「選んでるわけじゃないんだけどね。タカハシさんだってプロフィールに専門職としか書いてなかったし」
 そろそろ頂上が近くなって来たんじゃないだろうか。フェンスから下を覗くと黄色いはとバスがトミカのように小さく見えた。
「なんかね、みんながみんな安い店にしか連れてってくんないの。でも私にはそれが結構心地いいことなんだなーって思ったりもしてて」
 ちなみに他の人とはどこへ行ったんですか、と聞かれたので箱そばと答えると、彼はしみじみとした声で一言「わかる」と頷いた。
「でもタカハシさんはダメだ。色々分かってなさすぎだって。こう、もうちょっと、思い込みをなくしたほうがいいよ」
「もしかして僕いま振られました?」
「振られましたね」
「マジかあ」
 あと一回りで頂上のようだ。
「でも映画も散歩も楽しかったよ。こんなに素直に話聞いてくれる人って、男女問わずそんなにいないから」
「じゃあ振らないでくださいよお」
「諦めなって。ついでにペアーズもやめなよ。被害者が増える」
「被害者て」
 最後の一段を上り終えた。網ガラスの押し扉に手をかける。タカハシさんは下の踊り場でちょっと泣きそうな顔をしたまま立ち尽くしている。
「じゃあこれでお別れですか」
「うーん」
 それも勿体無いよね、とりあえず上って来なよ。そう言うとまた素直に上ってくる。
「お友達でいいならまた会おうよ。今日もまだもつ鍋食べてないしさあ、まだまだ終わんないって」
 不服そうな顔で上ってきたタカハシさんの膝が笑っている。私も当然のように笑っている。それに気づいてお互いに吹き出した。
「タカハシさんてなんのお店にお勤めでしたっけ」
「懐石です。和食です」
「私がいつか結婚したら、結婚式の料理出してくださいよ。完全無欠なんですよね?」
「完全無欠ですよ」
「それなら安心ですね」
「うち高いですよ」
「その頃にはバイヤーにでもなってモリモリ稼いでる予定なんで大丈夫です」

 押し扉を開くと、室内の暖かい空気が吹き出してくる。東京タワーにはまた来ることができそうだと思った。帰りはエレベーターを使おう、と決めて私たちは展望台へ向かった。
 

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これからだから上っておいでよ

​©︎ 2019 by APZ wani.