その日はとても暑い日だった。僕はコンビニからの帰りがけ、公園のほうからのろしのようなものが上がっているのを見つけた。

 その人は、公園の奥の焼却炉に薪をくべていた。焼却炉があること自体初めて知った。

 

 公園の入り口に足を踏み入れると、まずは大きな遊具のある広場に出る。小学校に上がる前くらいの小さな子供たちがその山のような形をした滑り台(下はかまくらのように中で遊べるようになっている)にへばりつくように駆け上り、滑り降りていくのが見える。何か子供同士で会話をしているのだけれど、僕にはそれが全部「きゃあきゃあ」にしか聞こえない。賑やかなそこを通り過ぎると、次は木陰にベンチが並んでいる。本を読んでいる人、散歩の途中に一休みする人、友人と話し込む人、犬を撫でている人、それぞれが一定の距離を保ちながら穏やかに過ごしている。さらに奥へ進むと、蝉の声が一際大きくなる。虫取りに励む親子が一組いるだけで、あとは僕だけしかいない。コンビニの袋をパリパリさせながら僕はその先へ向かう。

 

 その人は、焼却炉を開けて、ふむふむと何かを確認すると、トングを使って薪を放り込んでいた。すすだらけの黒い軍手で扉を閉めると、ふああ、と大きなあくびをした。

 僕はまっすぐに焼却炉まで歩いていく。おじさんだと思ったその後ろ姿は、隣に立ってみればおばさんだということが分かった。おばさんは、長いまつげを瞬かせて僕を見る。僕は会釈をして焼却炉から立ち上る白い煙を見上げた。

 

 

 

 次の日も、その次の日も、僕はなんとなくコンビニ帰りに焼却炉とおばさんに会いに行った。彼女は特に何も言わないけれど、毎日せっせと会いにくる僕に少しだけ心を許したのか、目の前で薪をくべてくれるようになった。焼却炉の扉の中は真っ赤だ。ゆらゆらと暴れる炎の中に、ぽいぽいと薪を並べる。適当に放り込んでいるのだと思っていたけれど、いい塩梅があるようで、たまにトングの先でちょいちょいと薪の位置を修正したりしていた。

 僕は焼却炉から立ち上る白い煙を見上げる。

 

 

 

 昨日僕は、久しぶりに仕事場へ行った。復職というやつだ。サインバルタとリフレックスを飲み込んで僕は電車に乗る。電車のアナウンス、パスモの機械音、エレベータのポーンという音、僕は会社に戻ってきてしまったんだなと、安堵と絶望が混ざった、いい匂いの泥水みたいな心で思う。産業医と部長が僕の復職について何やら目の前で話し込んでいるけれど、肝心の僕は放って置かれたままで、仕事ってそういうもんだったなと思い出す。ふと窓の外を見ると曇り空は秋の色をしている。今日は焼却炉に行けるだろうかと思った。

 

 

 マフラーを一年ぶりにクローゼットの奥から取り出すと、埃をかぶっていてしばらくくしゃみが止まらない。毎年そうだ。痛いほどの寒さに耐えながら、僕は出勤前に公園へ立ち寄る。まだ早朝のそこには子供なんていなくて、一組、毛糸の服を着せられた柴犬とおじいさんがのろのろと歩いているだけだった。枯葉をぱりぱりいわせながらベンチを通り過ぎ、林を抜けると、おばさんも焼却炉もいなくなっていた。積まれた薪だけがそこに残っていた。昨日までは確かにいたのに。僕は静かにそこへ歩いていき、薪を手に取る。

 あの日、僕は鬱病の体をおして4ヶ月ぶりに一人で外に出たのだった。

 空を見上げる。のろしは見えない。顔を上げたまま息を吐き出せば、ふああ、と丸くて白い水蒸気が浮かび、すぐに見えなくなる。

 

 お礼くらい、言えばよかった。

薪をくべる

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