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 つまんないつまんないいつもの生活は夜が深まるたびにわたしを焦らせる。うえから落ちてきた髙藤さんの唇がわたしの唇とぶにゃりと合わさって、食べられちゃってるみたい、わたしよりずっと体温の高い彼の温度が触れてもないところまで湿らせる。セックスって暑い、熱い、なんで? こんなに疲れなければ終わったあともいつもみたいに笑って永遠に話ができるのに。もったいないね。

 つまんなくって苦しくて、生きてるのか死んでるのかわかんなくなるような日々を終わらせたくてわたしは頑張ってる。褒めて欲しいよ。誰に? お父さんに。髙藤さんに。あとは、そうだな、あとはいない。お父さんはどこにいるのかわかんないから、間に合わせみたいなノリで髙藤さんに会いに行っちゃう。最初に会ったのはわたしが一瞬だけJKリフレで働いてたとき。わたしは当然処女だったし、キモいことはしなくなかったからお客さんとお話しするだけ、手を繋ぐだけ、最悪ハグするだけで済ましてた。あれこれ期待してやってくるお客さんはみんなちょっと不満そうな顔をしつつもいいよいいよ、嫌なことはさせられないよと言って我慢してくれるけど、当たり前のようにリピートはなかった。新人期間も過ぎて稼ぎががくっと落ちた頃、髙藤さんはふらっとやって来た。わたしは迷いつつもやっぱりヌキはしませんと言って髙藤さんの顔色を伺った。髙藤さんは事も無げに、おれはそんなこと求めていないからいいよって言った。

 わたしは声をあげる。かなしい声だ。なんだっけ、あれ、ウミガメが卵を産むときみたいな。あいつらはたしか涙も流す。でもわたしは泣かない。かなしいわけじゃないから。でも喉から勝手に出てくる声は今にも泣き出しそうな声色だ。わたしは、かなしいのかな? 少なくとも、気持ちいいとは思ってない。

 髙藤さんはわたしにリフレなんかやめなと言った。おれがやってる店で雇ってあげるから、こういう危ないことはしないほうがいい。どっぷり嵌る覚悟ができてる子には何もいうつもりはないけど、もえちゃんはそう見えないよ。わたしはそのとき安くて小さなレンタルルームの中でわんわん泣いて、それから、ほんとうの名前とインスタのIDを髙藤さんに教えた。「もえ」の、へんな書き方のほうです、とわたしが自分の名前を説明すると、髙藤さんは笑って、おれも「たかとう」のへんな書き方のほうだよ、とおどけた。わたしはこの人になら頼ってもいいのかもしれない、と思った。

 髙藤さんの経営しているバーは夕方の十八時くらいから深夜二時くらいまでやっているごくふつうのおしゃれなバーで、わたしはキッチンで簡単なフードを作ったり、たまに表に出て接客をしたり、オープン前とクローズ後の掃除をしたりした。お客さんには、わたしは髙藤さんの姪ということで通していた。知らない世界を見たがる姪に「お手伝い」をさせて世界を見せてあげているおじさん。

 最初はぜんぜん手を出してこなかった。四十手前の、お父さんよりちょっと年下くらいのおじさんに、わたしも恋愛感情とかはなかった。だからごくフツーに高校のクラスメイトと付き合って、チューしてあれこれして、ってやってたら、なぜか髙藤さんの機嫌がすごく悪くなった。おれがいるのにどうしてあんなガキと付き合ってるの、って聞かれて、えっ、髙藤さんと付き合ってるつもりなかったんですけど、って言ったら、その場でいきなりキスされた。そのキスがかなりキュンときちゃってわたしはソッコー彼氏を捨てた。

 でも、髙藤さんはわたしを大事にしてくれるわけではなかった。髙藤さんは改めて見たら結構かっこよかったし、バーを経営するくらいデキる男だし、なんというか全体的に「サマになる」人だった。女たらしで、バーには髙藤さんの彼女を自称する人がたくさんやってきた。髙藤さんもまんざらじゃない感じでその女の人たち(もちろんわたしよりずっと年上の大人の女性)とイチャイチャしてて、わたしは何度も閉店後に問い詰めた。すると髙藤さんは決まって「お客さんを嫌な気持ちにさせたくないでしょ」と困った顔で言うのだった。

 わたしは心と体がめちゃくちゃ正直に繋がっている。だから、髙藤さんと言い合いが増えていくにつれてちゃんと出勤することができなくなっていった。髙藤さんはわたしたちの事情もおかまいなしに怒った。学生気分じゃ困るんだけど。だってわたし学生だし、と思いながら、わたしはだんだん高校にも足が向かなくなっていった。

 そして高二の春、ついにわたしはバーをクビになった。髙藤さんとリフレで出会ってからすでに半年以上の時間が経っていた。ちゃんと働けないなら他の子を雇うから。その言葉を最後に、いきなり連絡がつかなくなった。わたしは振られたんだな、と思った。そして、稼ぎがなくなってしまうのはかなり困るな、とも思った。わたしの夢は離婚してから会ってないお父さんをどんな手段を使ってでも見つけだして、感動の再会をしてから、気がすむまでぶっ殺して、海に沈めてやることだ。夢のためにはお金がいる。とりあえず定めた百万円という額にはまだ半分も達していなかった。

 高校生活は、初めてできた彼氏と別れてから急速に色を失っていった。お父さんは、とりあえずどこでもいいからできるだけいい大学に行って、食いっぱぐれないような会社に勤めなさい、全てはそこからだよ、とわたしに言う。だから中三の一年間はずっと勉強尽くしで頑張って、まあ、お父さんの望むようなところではなかったけど、そこそこ悪くない高校に入学できた。でも、勉強を頑張っている間にお父さんはいつの間にか行方をくらまして、合格通知を貰ったその日、お母さんに、お母さんとお父さんは離婚しました、とだけ聞かされた。だからわたしの高校生活は、もうなんのためにあるのかよくわからない。お父さんの言うこと聞いて頑張ったのに、合格したよと伝えたいそのお父さんはもうどこにもいないのだった。彼氏ができてしばらくはちょっと楽しかったし、ファーストキスも処女もあいつで済ませて後悔はない。好きだったから。最低な終わらせ方をして、そっちの方が後悔している。高二になってクラスが変わって、友達もつくる気になれなくて、なんとなく過ぎていく毎日のなかで、わたしは、ゆっくり、フェードアウトした。

 高校を中退することについてお母さんは何も言わなかった。だって我が家は個人主義だから。自分の選択に自分で責任を負えるなら、なにやってもいい。せめて働きなさいよ、とだけ言ったお母さんにはあいと返事して、わたしはガールズバーの求人に申し込みをかけた。

「」

 髙藤さんが腰を震わせて無言でイった。いつもそうだ、わたしには声出せってうるさいくせに髙藤さん自身はなんにも言わない。気持ちいいも気持ち悪いも言わない。そこだけは付き合ってたときと変わんない。でも、変わったこともある。ごろん、とわたしの上からどいた髙藤さんは深いため息をつきながらベッドサイドの財布から万札を何枚か抜いてわたしに差し出した。

「パパ活?」

「援交じゃないの」

 わたしは万札をふんだくってベッドを降りる。早くシャワーを浴びてここから出たかった。

 

 髙藤さんからの連絡はある日突然復活した。ブロックされていると思っていた髙藤さんのIDから、また平然と連絡が来るようになった。元気? 何してる? ご飯ちゃんと食べてる? まるでわたしがリフレをしてた頃、もうそんな危ないことやめなと言った髙藤さんに戻ったみたいだった。それが嬉しくて、よりを戻せるのかなと思って、わたしは髙藤さんに会いにいった。それが「これ」の始まりだった。

 お金がもらえるなら、いい。別にキモいおじさんとするわけじゃない。仮にも好きだった人だ。付き合ってた人だ。セフレにされるよりマシ、なのかもしれない。いや、セフレよりひどいかも。わたしは無言で髙藤さんの家を出る。

 今日は日曜日。理樹くんとお話をする日だ。九月の初めの台風の日、わたしが誰にも言えなかったお父さんをぶっ殺す計画を告白した日、理樹くんはまた相談させてください、と、わたしをなにかから引き止めるように必死にお願いしてきた。理樹くんはほんとうは相談したいんじゃなくて、相談されたいんだろうな。わたしも分かってて、いいよって言った。それから毎週日曜日の夜中、理樹くんが勉強を終えて自習室を出る終電前に少しだけ、わたしたちは話をするようになった。話が終わると理樹くんはあざみ野で降りて家に帰り、わたしは渋谷まで乗ってガールズバーに出勤する。

 スマホを見ると時間はまだ二十一時を過ぎた頃で、まだまだ時間がある。家に帰る気分じゃないし、藤が丘のガストでご飯食べようかな、と思いながら、少し肌寒くなりはじめた夜の空気をかき分けるように早足で歩いた。

​©︎ 2020 by APZ wani.